雅子さまの元彼氏の画像|奥克彦は日本ラグビーW杯を実現させた外交官

皇后陛下になられる前、皇后雅子さまは外務省エリートキャリアウーマンでした。

美しい才女の雅子さま、旧姓は小和田雅子さん。

お若い頃の恋愛が、無いわけがありませんね。

ネットで話題になっている、雅子さまのお若い頃の彼氏と言われている奥克彦さんとの恋愛について調査してみました。

雅子さま元彼氏の画像

雅子さまの美しく初々しいお若い頃。

有能な男性陣がほっとく訳がありません。

早速見ていきましょう。

早稲田大ラグビー部出身の外交官

雅子さまは旧姓を、小和田雅子(おわだまさこ)さんといいます。

こちらの画像は、小和田雅子さんだった頃の雅子さまです。画像は当時29歳。(1993年)

ネットを見てみると、(小和田雅子)雅子さまのお若い頃の彼氏は、奥克彦さんと噂になっています。

奥克彦さんは、雅子さまと同じ外務省にお勤めの外交官

なので、雅子様と奥克彦さんの出会いは外務省入省の可能性が高いです。

 

こちらが、お若い頃の奥克彦さんの画像です。

奥克彦さんは知的な印象の男性ですね。

雅子さまが外務省に入省した23歳のときに、奥克彦さんは29歳でしたので6歳差ですね。

ネットの情報によると、早稲田大学出身のラガーマン外交官で知られている奥克彦さんはガッチリした印象なのだそうです。

どっしりと構えている落ち着いた印象からか、スポーツで養われた勝負強さを感じさせますね。

 

ネットを調べてみましたが、雅子さまと奥克彦さんのお付き合いが、いつ頃あったのかはわかりませんでした。

「雅子様が奥克彦さんと不倫をしていた」といった、雅子さまの黒い噂もありましたが、2人が独身時代のお付き合いの可能性が強いのではないかとの見解になっていました。

雅子さまは23歳で入省して29歳で皇太子妃になられています。奥克彦さんは29歳〜35歳の頃です。

あくまでネットの噂ですが、皇太子妃候補のことがなければ、雅子さまは奥克彦さんと結婚していた可能性もあったのでは、といった見方もあるようです。

ネットを見ても、雅子さまと奥克彦さんの交際についての情報が殆どないので、ネット民は余計に詮索してしまうのでしょうか。

 

こちらは、10年後の奥克彦さんです。

200110月、奥克彦さんは在英国大使館広報文化センター所長として英国に赴任。

奥克彦さんは、当時43歳。

イギリスの子どもたちに日本の文化を伝えている奥克彦さん

熱心であたたかそうな人柄が伝わってきますね。

 

記事になっているのは、奥克彦さんがラグビーを日本にもたらしたことについての功績を讃えて、毎年開催されているラグビーの大会について書かれています。

オックスフォード大学院時代にもラガーマンだった奥克彦さんは、その後にラグビーの本場イギリスと日本の架け橋となった人物でもあります。

朝日新聞の報道によると、2003年に、奥克彦さんは赴任地のイラクで銃撃を受けて亡くなられています。苦しくも赴任した年に殉職。

奥克彦さんは、享年45歳でした。(殉職後に大使に昇格)

画像元:朝日新聞

朝日新聞の報道では、奥克彦さんはイラクでテロに巻き込まれた可能性が強いとのことでした。

2003年といえば、奥克彦さんが亡くなられた後に「イスタンブール爆弾テロ事件」。

2年前の2001年に9.11「米国同時多発テロ事件」があり、数年の間にも各国でテロが相次ぎました。

 

イラク北部で29日、四輪駆動車で移動中の奥克彦・在英大使館参事官(45)、井ノ上正盛・在イラク大使館3等書記官(30)、イラク人運転手が襲撃され、殺害された。3月のイラク戦争開始以降、日本人に死者が出たのは初めて。福田官房長官は「テロの可能性が強い」との見方を示した。(朝日新聞)

 

当時の世界情勢から、奥克彦さんの所在は危険な赴任地であったのは明白だと推測します。

奥克彦さんは、大変危険な赴任地イラクで重要な任務を任されていた事がわかります。

重要な任務を任されていた有能な奥克彦さん。

雅子さまはそのような奥克彦さんを、先輩として敬愛していたのかも知れませんね。

画像元:産経新聞「奥克彦参事官、亡くなる2ヶ月前」

元彼氏の悲報でご病気?

雅子様が皇室に入内してから、周囲からお世継ぎを強く望まれていた雅子さま。

様々な方面からの相当なプレッシャーだけでもお辛いのに、更にはマスメディアの憶測が飛び交い、雅子さまのご負担になっていただろうことは言うまでもありません。

ご結婚から8年後に愛子さまを授かりました。

そして2004年、雅子さまは適応障害というご病気で療養されると発表。

長くご公務から遠ざかっていました。

雅子さまが適応障害で療養される前年、2003年に雅子さまの元彼氏と言われている奥克彦さんがイラクで殉死されます。

ネットでは、雅子さまが適応障害になって療養しなければならない程になったのは「奥克彦さんが亡くなったから」では、と噂になったそうです。

様々な意見がありましたが、多くの方が一概に「雅子様の適応障害」イコール「奥克彦さんの殉職が原因」とは言えない、といった見解が大多数のように思われます。

奥克彦さんの死は、雅子さまの適応障害の原因となる「数ある理由の1つ」にであると言えるでしょう。

確かに、自分が念願かなって入省した外務省で、お世話になった仲の良い先輩が突然の死に見舞われたら。

誰でも心に大きなショックがあるのではないでしょうか。

 

実際に奥克彦さんが亡くなる前から、雅子さまのご公務の欠席は増えていました。

雅子さまの適応障害の主な原因となるのは、過度のプレッシャーとなった「皇室の中での孤独」ではないかと考えられます。

徳仁天皇が雅子さまにしたプロポーズ「皇室でも外交はできる」といったこと、世間の風が強く惜しくも現実とならず。

徳仁天皇も雅子さまもお辛かったでしょうね。

雅子さまが皇室のために自分人生を捧げ、外交官として培ってきたものを活かそうとしているのに、周囲は「お世継ぎを…!」と海外外出禁止にまでさせられてしまっていました。

徳仁天皇の「人格否定」発言が語っているように感じます。

雅子さま初のご公務:アラブ諸国訪問「開かれた皇室」

新しく「令和の時代」を迎えた、徳仁天皇と雅子皇后の時代。

体調も回復されつつある雅子さま。

お2人とも英語が堪能で、開かれた外交と言われたお2人の外交が楽しみですね。

ラガー外交官の奥克彦

こちらの画像は、早稲田大学時代の奥克彦さんです。

大学2年までラグビーをされていたそうなので、19歳、20歳頃の奥克彦さんだと思われます。

早稲田大学ラグビー蹴球部のウェブサイトによると、奥克彦さんは高校時代からの夢であった外交官になるために、大学2年生の時に退部。

当時の監督の話によると、合宿中に奥克彦さんは話を聞いてほしいと申し入れてきたそうです。

 

「本日で退部して山を降りたい、理由は高校時代からの目標である外交官になるために、外交官試験の勉強に集中していきたい」(早稲田大学ラグビー蹴球部website)

 

奥克彦さんは北海道遠征のメンバーに選ばれるほど有力候補でしたが、監督の説得にも応じず、奥克彦さんの意思は強かったそうです。

2年生にしてかなり期待されていたのですね。

 

猛勉強をして、奥克彦さんは晴れて外務省入を果たします。

外務省に入省した奥克彦さんは、イギリスオックスフォード大学に研修留学。

奥克彦さんは、本場イギリスのラグビー部に入り、なんと一軍で大会に出場していたそうです。

画像中央:オックスフォード時代の奥克彦さん

奥克彦さんが高校2年生の時に、弱小だった兵庫県伊丹高校のラグビー部を花園(第54回全国高等学校ラグビーフットボール大会)に出場させました。

そして、奥克彦さんが高校3年生の時にはキャプテンとして活躍。

かなりの実力の持ち主なのが伺えるエピソードですね。

 

早稲田大学の監督曰く、奥克彦さんは外交官として多忙の中、ラグビーの活動も積極的に参加。

早稲田大学ラグビー部、日本ラグビー協会、国会議員ラグビー協会など気さくに貢献されていたそうです。

いつの日か、奥克彦さんは日本でラグビーのワールドカップをしたい、というビジョンを仲間に語っていたそうです。

ですが、1987年にNZ・オーストラリア開催で始まったラグビーW杯はラグビー伝統国で開かれており、誰もが日本での開催をイメージできるものではなかったのだそうです。

画像左:奥克彦さんイラクにて

それを夢見て走り、実現させたのは奥克彦さんでした。

しかし、日本ラグビー・ワールドカップ招致を、達成目前でイラクの銃弾で無くなった奥克彦さん。

奥克彦さんの働きで実現した日本ラグビー・ワールドカップは、奥克彦さんの意思を引き継いた当時の内閣総理大臣、森喜郎さんが先頭に立って行われました。

なんと、森喜郎さんは奥克彦さんの早稲田大学ラグビー部の先輩。何度も森喜郎さんに日本ラグビーワールドカップの招致を掛け合えた理由に納得です。

 

2019年9月18日、日本ワールドカップ直前に、「奥記念杯」オックスフォード大学と早稲田大学の記念試合が、東京杉並区の上井草グラウンドで行われました。

実は、オックスフォード大学では、奥克彦さんを偲んで追悼試合毎年行われ続けてきたのだそうです。

オックスフォード大学と早稲田大学のラガーマンたちが、奥克彦さんの写真とともに記念撮影されています。

 

Yahooニュースの松瀬学さんのコラムによると、「仲間他人への尊敬」を大切に、情熱を持って駆け抜け、生きてきた奥克彦さんの人物像が見えてきました。

 

奥克彦さんは生前、外交官として、弱者に目に向け、からだを張って、世界中を走り回っていた。仲間を大事にし、他者をリスペクトする、そんなラグビー精神を持ち続けていた。

 

ここまで、慕われ愛される男、奥克彦さんは本当に気骨な方だったのだろうなと感じます。

そのような情熱的な生き方をしていたからこそ、奥克彦さんという人間として、雅子さまはじめ多くの人々を鼓舞し魅了してきたのかも知れません。

皇后雅子さま|プロフィール

皇后雅子(こうごうまさこ)

旧姓 小和田雅子(おわだまさこ)

誕生日 1963年12月9日

年齢 55歳(2019年)

血液型 未公表(A型説が濃厚)

身長 164㎝

奥克彦 大使|プロフィール

奥克彦(おくかつひこ)

誕生日 1958年1月3日

享年 45歳(2003年)

血液型 未公表(A型説が濃厚)

身長 180㎝

早稲田大学出身

オックスフォード大学院

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