バラエティやドラマでご活躍の大女優加賀まりこさん。
ドラマ・映画「花より男子」に出演以来、街中で「道明寺の母」と声かけられる程、若い世代にも親しまれている人気の女優さんです。
お若い頃の加賀まりこさんが無敵の可愛さだと話題です。
加賀まりこさんの圧倒的に可愛いお若い頃の画像と川端康成を魅了した小悪魔な女優エピソード、シングルマザーになると決断させた熱愛の噂についてもご紹介していきます。
加賀まりこ プロフィール
加賀まりこ(かがまりこ)
誕生日 1943年12月11日
年齢 77歳(2020年)
血液型 O型
身長 156㎝
和製ブリジット・バルドー

加賀まりこの若い頃の画像まとめ
お若い頃の加賀まりこさんが、無敵の可愛さだと話題です。
早速見ていきましょう。
和製ブリジット・バルドー
こちらの画像が、お若い頃の加賀まりこさんです。
可愛すぎる!
お若い頃の加賀まりこさんは、日本人離れした美人ですね。笑顔を安売りしない感じがヨーロッパ系の美人を連想させます。
お若い頃の加賀まりこさんは、猫目の囲みアイメイクで小悪魔的な魅力がありますね。
当時、「和製ブリジット・バルドー」と異名が付くほどでした。
こちらが、フランスの人気女優ブリジット・バルドーさんの当時の画像です。
当時、ブリジット・バルドーさんは可愛いながらも、媚びない役柄で人気があったフランス女優さんです。
現在85歳を超えるブリジット・バルドーさんは、お若い頃はフランスのマリリン・モンローと呼ばれて絶大な人気だったそうです。
媚びない美人、裕福な家庭で育ったことも、加賀まりこさんとの共通点です。
お若い頃の加賀まりこさんが、囲みアイメイクをしていたのもブリジット・バルドーさんとよく似ています。
小悪魔的な魅力がアップしますね。
早熟な小悪魔とも呼ばれていた、お若い頃の加賀まりこさん。
お若い頃の加賀まりこさんの画像を、代表作品を交えながら、時系列でご紹介していきたいと思います
芸能界デビューするまで
1943年、加賀まりこさんは東京の神田小川町に生まれ、新宿の神楽坂で芸能一家の中で育ちます。
こちらが、デビュー当時の加賀まりこさんです。あどけないですね。
加賀一族
父親:加賀四郎(大映のプロデューサー)
兄:加賀祥夫(松竹・大映プロデューサー)
伯父:加賀次郎(松竹常務)
従兄弟:加賀義次(日本テレビプロデューサー)
伯父:加賀一郎(アントワープオリンピック日本代表選手)
父方の祖父:加賀卯乃吉(元衆議院議員)
母方の祖母:松本フミ(神田錦町で貸店を経営)
従姉妹:元女優の岸雅子(のち加賀周子)
従姉妹:加賀美知子(シャボン玉ホリデーカバーガール)
メディア業界の大御所ばかりですね。しかも政治家やオリンピック選手も、スケール違いの加賀一族の中で育ったんですね。
加賀まりこさんには13歳上の姉と12歳上の兄がいます。
末っ子の加賀まりこさんは相当甘やかされて育ったので小さい頃から自由奔放、さらに毒舌だったのだそうです。
加賀まりこのお気に入り
・歳上の姉の影響で、澁澤龍彦翻訳のマルキ・ド・サド選集を愛読
(フランス革命期の貴族・小説家・元祖サディズム)
・1人でタクシーにのる
・美容院に行く
・オードリー・ヘップバーンは憧れの人
お若い頃の加賀まりこさんは、オードリー・ヘップバーンに憧れて髪型などを真似していたんだそうです。確かに髪型やクラシカルな雰囲気が似ていますね。
アメリカの女優:オードリー・ヘップバーン
お若い頃の加賀まりこさんは、早熟な一面だけが飛び抜けていたのではなく、オリンピック選手の伯父・加賀一郎さんがいるように運動神経が抜群でした。
加賀まりこさんが中学2年生の時に、走り幅跳びの大会で優勝。加賀まりこさんは後に、東京オリンピック間近で血は争えませんね。
17歳の頃の加賀まりこさん。相当可愛いですね。
ネットの情報によると、加賀まりこさんが明星学園高等学校に進学すると、更に報道範囲は広がりました。なんと、麻布の高級イタリアン「キャンティ」に学生服のままで通うように。
現在でも老舗の高級イタリアン、先進的に文化を育んできた場所と言われています。
イヴ・サンローランと梶子夫人
午後🚶港区麻布台(📷キャンティ麻布飯倉片町本店・安部公房、伊丹十三、黒沢明、岡本太郎、小沢征爾、篠山紀信、イヴ・モンタン、黒柳徹子、加賀まりこ、かまやつひろし、坂本龍一、松任谷由実、等『キャンティ物語』(野地秩嘉)川添夫妻の物語は是非📷会員制 東京アメリカンクラブは好きなクラブ) pic.twitter.com/cvPJoAX8Oa
— のぎざか (@nogizaka55) April 14, 2019
麻布高級イタリアン「キャンティ」
財政界、芸能界、芸術界、メディア業界など各世界の著名人が多く常連客。
西洋のサロンにたとえられる文化的な場所なので伝説的なイタリアンレストラン。
加賀まりこさんは、当時を振り返って、「キャンティ」のオーナー夫人である川添梶子さんの自立した生き方に憧れていたことを明かしています。
「タンタン」という愛称で呼ばれた梶子夫人。(イタリア語でおばちゃんの意味)
川添浩史さんの国際的な人脈で、国を問わず多くの文化人が来店。
英語、フランス語、イタリア語が堪能な梶子夫人が店を取り仕切る。
川添浩史さんとご結婚された梶子夫人が「キャンティ」を作った理由は、自分たちが食べに行きたいようなレストランがなかったから作ったんだそうです。
粋な女性ですね。
麻布「キャンティ」はファッション、音楽、文学の歴史をつくった若者を多く排出しました。
「梶子さんが『柴、大変でしょう。偉くなったら払いなさい』と、キャンティの食べ物飲み物、『全部ツケでいいよ、出世払いにしなさい』と言ってくれました。
で。お金がないから、毎晩キャンティにしか行けないわけです。少しお金が出来て、キャンティに、払いに行かなければいけないなと思った時には、700万くらい確か溜まっていたと思います。(笑)」(柴田良三氏)
その一人である柴田良三さんは、ファッション界の巨匠。
親をなくした柴田良三さんは頼るところがなく、梶子夫人の紹介でイヴ・サンローランと知り合います。その後の大きな活動としてはアルマーニやレノマを輸入し日本で広めました。
1960年(昭和35年)、六本木にイタリアンレストラン「キャンティ」がオープン。オーナーは川添隆太郎・梶子夫妻。
— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) April 28, 2018
芸能人・文化人が好んで集まり、六本木からの文化の発信地となりました。
写真は皆の憧れの存在だったというオーナーの川添梶子。
2枚目はこちらのサイトより。https://t.co/zChe1zR0TV pic.twitter.com/Y9XP4ox4AN
上記には「川添隆太郎・梶子夫妻」とありますが、正しくは「川添浩史・梶子夫妻」
川添隆太郎さんは現在のオーナーの名前です。(2020年)
川添梶子さんは、当時の女性たちから憧れられていた存在だったのですね。
45歳で逝去された梶子夫人。
ご結婚されて「キャンティ」での15年間で、ひとつの時代を作ったと言っても過言ではないでしょう。
ちなみに、「キャンティ」創業者の川添浩史さんの息子で、音楽プロデューサーの川添象郎さんと加賀まりこさんは幼馴染です。
青山テルマ「そばにいるね」を大ヒットさせた方と幼馴染なんて、住む世界が凄いです。
1964年のカンヌ映画祭に出席する加賀まりこさん(右下)と川添浩史さん(左上)
他、勅使河原宏さん、岸田今日子さん、入江美樹さん、川喜田かしこさん

1960年、高校在学中の加賀まりこさんに転機がやってきます。
なんと、映画監督の篠田正浩さんと演出家・劇作家の寺山修司さんは、通学姿の加賀まりこさんを見かけて路上でスカウトしたんだそうです。
こんな綺麗な美少女が町中に居たら、ホントそこだけ目立ちそうですね。
そして、お若い頃の加賀まりこさんは、フジテレビドラマ「東京タワーは知っている」で芸能界デビュー。
お若い頃の加賀まりこさん、本当可愛い過ぎますね。
小悪魔な女優の代表作品
1962年、加賀まりこさんは、映画「涙を、獅子のたて髪に」で映画デビュー。松竹と5年間の新人契約を交わしています。
映画「涙を、獅子のたて髪に」
ネットの情報によると、当時の加賀まりこさんは数々の映画作品やCMに出演し、小悪魔的なルックスとプロフェッショナルな演技力で人気を得ていました。
「夜のヒットスタジオSUPER」でも、歯に衣着せぬ物言いと強気な発言で「生意気」とレッテルを貼られて、一躍話題になっていたそうです。
1964年、お若い頃の加賀まりこさんは、映画「月曜日のユカ」に出演。戦後のナイトクラブで働く奔放で純粋な女性を演じています。
お人形さんのように可愛い、日本人離れした美しさが魅力的です。
そして、となりのイケメンが気になりますよね。
実は、お相手役のこのイケメンはお若い頃の中尾彬さんです。
加賀まりこさんのボーイフレンド役を演じています。
同年、加賀まりこさんは、映画「乾いた花」に出演。ここでも、ちょっと影のある役を演じていて、美しい女性の賭場師を演じています。
当時は、「ヤクザ映画」には似つかわしくない、スタイリッシュな映画と話題になったのだそうです。
こちらの画像の加賀まりこさんは、役の冴子用につくられた衣装を着ています。なんと、デザインは世界で有名なデザイナーの森英恵さんです。
ヤクザ映画とは思えない、ファッションに注目したくなる映画です。
可愛い加賀まりこさんにピッタリの装いですよね。
こちらの衣装もクラシカルで素敵ですね。
ネットでは、「着ている人も、デザイナーも、時代も良かったんだろうな」「こんな雰囲気で、麻布キャンティに出没していたんだろうな」と、当時の洗練された一流の世界を振り返るコメントが有りました。
川端康成のお気に入り
1965年、お若い頃の加賀まりこさんは、誰もが知っている近代文学者の川端康成さんが原作者の映画「美しさと哀しみと」に出演。作品の中では、レズビアンの坂見けい子役を演じています。
当時の加賀まりこさんのリハーサルを観て、川端康成さんが驚きのコメントをされていたそうです。
「加賀さんの熱つぽい激しさに私はおどろいた」
お若い頃の加賀まりこさん、小悪魔な魅力が適役だったようですね。
「私がまるで加賀まりこさんのために書いたやうな、ほかの女優は考へられないやうな、主演のまりこがそこに現はれた」
川端康成さんは、女優・加賀まりこさんの演技力に対して高く評価していたのがわかります。
「演技より前の、あるひは演技の源の、加賀さんの持つて生まれた、いちじるしい個性と素質が出てゐた」
映画出演を通して知り合い、加賀まりこさんを大変気に入った川端康成さんは、朝食を共にとる様になり文化人的な交流がはじまったのだそうです。
川端康成さんと加賀まりこさんは恋愛関係だったのでは?と意見もありました。
確かに、川端康成さんは加賀まりこさんの撮影現場にきたり食事をしたりしていたと多く話が残っているので、大のお気に入りだったことが伺えます。
ネットの情報によると、お若い頃の加賀まりこさんは川端康成さんを「いいダチ」とコメント。
有名文化人の川端康成さんをそう呼べるのも、加賀まりこさんくらいだったと思いますし、表現がかっこいいですね。
「川端康成さんは女性として見ていたのでは」といった意見もありましたが、真相はわかりません。
とはいえ、小さい頃からスケールが桁違いな加賀一族の中で生きてきた加賀まりこさんにとっては、本当に尊敬し合える良い仲間・文化人のように思っていても不思議ではありません。
その後、お若い頃の加賀まりこさんは、「生意気」のレッテルをはられ、事実に基づかない報道などで嫌になり、リフレッシュのために芸能活動を休止してパリへ渡ります。
そこでも、加賀まりこさんは芸術界の大物と交流を深めていきます。
・イヴ・サンローラン(ファッションデザイナー)
・フランソワ・トリュフォー(映画監督)
・ジャン・リュック・ゴダール(映画監督)
・フランソワーズ・サガン(作家)
そうそうたるメンバーですね。さすが、小悪魔な加賀まりこさんであり、文化人の中で生きてきた加賀まりこさんです。
半年後、帰国を考えていた加賀まりこさんに、新たな転機がやってきます。
演出家の浅利慶太さんから舞台の出演の誘いがあり、劇団四季の舞台「オンディーヌ」に出演。加賀まりこさんは、初めて女優としての喜びを知ることになったのだそうです。
この「オンディーヌ」は、日活劇場(劇団四季が入っていた劇場)以来初の、大入りになったのだそうです。
ちなみに、このイケメン俳優は北大路欣也さんです。
そして、以後も女優として数々の作品に出演、一方では雀士としても「THEわれめDEポン」でも4回優勝経験があるほど精力的に活動されています。
小さいころから多才で、頭がキレるのですね。
加賀まりこの熱愛のお相手は?
お若い頃の加賀まりこさんについて調べていると、「未婚の母」になると決断して出産経験もされていることがわかりました。
ネットの情報によると、加賀まりこさんは出産するも子供は8時間で亡くなられてしまったとのこと。
当時の交際されていた時期を重ねると、お相手は歌手の布施明さんと言われているようです。
当時の布施明さんは、可愛い子には声を掛けまくっていたそうで、女性関係も派手だったことが伺えます。
お相手が「布施明さんではないか」というのも、当時の週刊誌が話題にしたことだそうなので信憑性は定かではありません。交際していた事実自体から見直す必要があるかもしれませんね。
このような噂や話題になるのも、加賀まりこさんが小悪魔的な魅力的があり、実力ある女優さんだからなのだろうなと感じました。
これからも、美しい母世代の女優としてご活躍してほしいです。