風吹ジュンの若い頃の画像まとめ|美少女時代を振り返る

69歳になられた現在も「かわいい」大女優の風吹ジュンさん。(2021年5月末)

突然、芸能界に「風のように現れた美少女」

不運な境遇に生まれながらもたくましく生き抜いてきた、風吹ジュンさんの美少女時代可愛い画像とともに振り返ってご紹介します。

風吹ジュン プロフィール

風吹ジュン(ふぶきじゅん)

誕生日 1952年5月12日

年齢 69歳(2021年)

血液型 B型

身長 157㎝

本名 堀川麗子(ほりかわれいこ)

元夫 川添象郎(かわぞえしょうろう)

風吹ジュンの若い頃の画像まとめ

2017年、風吹ジュンさんの直近の代表作品となる「やすらぎの郷」に出演時は、「今もチャーミングで素敵」「奇跡の65歳」と高評価。

風吹ジュンさんのお若い頃可愛い画像と共に振り返っていきます。

昔のかわいい写真

こちらがお若い頃の風吹ジュンさんです。

すごい。めちゃくちゃ可愛い。

ハーフ系の美少女ですね。

現在の風吹ジュンさんの面影があります。ナチュラルな歳の重ね方で素敵です。

ネットでは、「デビュー当時は可愛すぎて衝撃だった」とコメントが多く寄せられています。

突然、テレビに現れた可愛い美少女。

 

確かに、可愛すぎて衝撃。

 

ネットには「20代の頃はフェロモンたっぷりでかなり天然」といったコメントもありました。

風吹ジュンさんのお若い頃のグラビア画像の一部がこちらです。

ちょっとセクシー。

とはいえ、ふんわり柔らかい雰囲気が、そのままですね。

全身写真ではありませんが、色っぽくて可愛い雰囲気が伝わてきます。

風吹ジュンさんのお若い頃は、天然素材100%の可愛い美少女ですね。

印象に残る転校生

2018年、風吹ジュンさんは、NHK「情報スタジオパーク」にゲスト出演。

中学生時代は転校を繰り返していたそうで、風吹ジュンさんは中学2年生当時のエピソードについてふりかえっています。

当時の転校先の男女同級生のVTRでは、風吹ジュンさんはかなり印象的な転校生だったことをコメント。

 

転校してきた彼女は他の生徒と一線を画していた。言うなればリトル・マリリン・モンロー

 

私たちとは違ってお姉さんぽい感じ

 

同性からも、ちょっと違いを感じられていたのがわかります。

 

セーラー服の大きく開いた襟の間にある胸当てを、彼女だけはなぜか外して着ていたんです。だから首の下から胸元にかけて大きく開けていて、ドキドキしました。

 

当時から、ちょっと天然セクシーだったのでしょうか。

風吹ジュンさん、天然な小悪魔美少女です。

 

風吹ジュン

「そうそう、あれ(胸当て)邪魔だったから取ってたんですよ。よく覚えてるなぁ。中学2年の時だけ通っていた学校なのに。」

 

VTRを見ながら、風吹ジュンさんは、中学2年生当時を微笑ましく思い出されていました。

相当、印象的な美少女だったことがわかります。

芸能界デビュー

ここからは、風吹ジュンさんの生まれから芸能界デビューするまでを振り返ります。

1952年5月12日、風吹ジュンさんは京都大学出身で高校教師の父と母のもとに誕生。富山県出身ですが、京都市山科区育ちで裕福な生活をされていたそうです。

 

風吹ジュン

「地域のお祭りでは踊ってた(苦手だったけど)」

 

1963年、小学校5年生のときに、両親が離婚して3歳年上の兄と一緒に母に引き取られます。

風吹ジュンさんは、紙コップつくりや子供服の刺繍を内職をして家計を助けたそうです。

1965年、富山県の志貴野中学校に入学。あだ名は本名の麗子から「レオ」と呼ばれていたそうです。

ちなみに風吹ジュンさんはお孫さんに「レオちゃん」と呼ばれています。

 

「ごめんなさい。あなたたちの面倒がみられなくなった」

 

1966年、風吹ジュンさんが中学2年生のときに、母親は育児放棄。

1967年、京都府の花山中学校に転校。

 

風吹ジュンさんは、京都へ兄と2人暮らしの極貧生活をスタート。内職やアルバイト生活で明け暮れる毎日でしたが生活は楽ではなかったそうです。

窓を開けると目の前が崖のアパート。

兄の給料でやりくりする日々の生活。

 

育ち盛りの自分たちが肉を食べるにはどうしたらいいか考え、安い挽き肉でハンバーグを手作り。風吹ジュンさんは、ハンバーグと冷たいコーラが最高だったと、当時を振り返っていました。

 

風吹ジュン

「母親が父親の悪口を言うのを聴くのが嫌だった。自分は悪口を絶対言わないようにしようと思った。」

 

とはいえ、心のゆとりは兄と2人暮らしの方が良かったようです。

兄が働き、台所は風吹ジュンさん。

いつしか料理が拠り所となっていた風吹ジュンさんは、夏休みに縫製工場のアルバイトで貯めたお金で有名店の煮付け、惣菜などを購入しては「繊細な味」「出汁の味」を学んでいったそうです。

貧しくても明るく生活を営んでいたのがわかりますね。

 

1968年、風吹ジュンさんが高校受験する頃には、家賃が払えなくなっていました。

 

「親がおらんやないか!」

 

風吹ジュンさんは、中学校の担任の先生の家へ下宿して勉強。

屋根裏部屋に住まわせてもらっていたそうなので、惨めな思いをしているのかと思ったら、部屋を黄色のペンキで塗って明るく過ごされていたようです。

本当に前向きで明るいですね。

 

風吹ジュン

「部屋を黄色に塗って楽しかったな」

 

その甲斐があって、京都市立日吉ヶ丘高等学校美術科の1次試験に合格。

しかし、2時試験の当日に母親の再婚を知らされ受験放棄。

そのまま高校進学せずに、レストランで住み込みで働いていたそうです。ショックだったのでしょうね。。

というのも、中学3年生になると生活が荒れていき、「ゴーゴークラブ」というディスコのような場所に出入り。

風吹ジュンさんの知名度も、京都のその界隈の若者だった知っているくらいだったそうです。

この頃は多感な時期だったのが、痛いくらい手に取れますね。

 

1970年、18歳の風吹ジュンさんは、上京して銀座の高級クラブ「大徳寺」でホステスとして働き始めます。

銀座の高級クラブ「大徳寺」といえば、当時「伝説の女帝」と呼ばれた大徳寺美瑠さんが切り盛りしていた凄いお店だったそうです。

当時の風吹ジュンさん、かなりかわいい。

ちなみに、女優の五十嵐淳子さん(中村雅俊さんの妻)も当時在籍してNO,1を競う仲だったそうです。「大徳寺」出身の芸能人は他にもおり凄いですよね。。

1970年デビュー、五十嵐淳子さん(時事通信社)

五十嵐淳子さんも、清純派で人気の女優としてご活躍、歌手としてレコードも出されていました。

高級クラブ「大徳寺」の女性の質が一流だけあります。

 

風吹ジュン

「これは違う」

 

お酒が飲めない風吹ジュンさん。慣れない仕事から、次第にそう思ったそうです。

 

そんな時、転機が訪れます。銀座の高級クラブ「大徳寺」に在籍中にモデルにスカウト。

1972年、風吹ジュンさんが20歳のときに高級クラブ「大徳寺」を退職してモデルクラブに所属しました。

 

はじめは芸能事務所と聞いて電話番でもするのかと思っていたところ、そのまま「電通」でいきなり「富士フィルム」のオーディションを受けたそうです。そして、一発合格。

翌週にはハワイで撮影だったそうです。急展開ですね。

 

「風が吹くように現れたから風吹。名前は語呂がいいからジュンね」(当時の担当者)

 

あっという間に、芸能界にデビューが決まり、芸名までさらりと決まってしまったのですね。

 

風吹ジュン

「電話番のアルバイトかと思ってた!」

 

モデルデビュー

1973年、21歳の風吹ジュンさんは、「初代ユニチカマスコットガール」に選ばれます。

有名カメラマンのデイヴィッド・ハミルトンが撮影したカレンダーは、「ヨーロッパ人しか撮らなかったハミルトンが初めて撮った日本人」として話題になりました。

後にユニチカのモデルには、米倉涼子さん、内田有紀さんなど有名女優となった芸能人の名前が続きます。芸能界デビューの登竜門となったのですね。

 

 

そして、1973年テレビドラマ「ママはライバル」、1974年「若い!先生」に次々出演。

風吹ジュンさんは注目を浴びていきます。

 

風吹ジュン

「実感はわかなかった」

 

風吹ジュンさんは気持ちが追いつかないまま、世間の人気は急上昇。

そう、当時の気持ちを振り返ります。

 

昭和石油ポスター

 

1972年、雄鶏社の手芸誌

 

1973年、ニットータイヤ

 

1974年、ゲイラ・カイト

 

1974年、中公文庫

歌手デビュー

1974年、風吹ジュンさんは「愛が始まるとき」で歌手デビュー。

22万枚の大ヒットとなり、「週刊プレイボーイ」のアンケートでは山口百恵さんを抜いて人気ナンバーワンのアイドルになりました。凄いです。

ネットを調べてみると、「舌足らずな歌い方」「愛嬌がそのままレコードになった」「声が上がるときの息つぎがセクシー」などが、当時からのファンが思う風吹ジュンさんの魅力が寄せられていました。

「彼女のファンだって風吹ジュンの歌が上手いなんて誰も思っていなかっただろう」それでも、歌がヒットしたのは可愛くて愛嬌があったからなのだそうです。

 

風吹ジュン

「愛が〜はじ〜ま〜る♪」

 

大人気となった風吹ジュンさん。

NET(現在のテレビ朝日)「印象スターものまね大合戦」では、林寛子さんや浅野ゆう子さんがモノマネをして歌い大盛りあがりだったそうです。どれだけ話題になっていたかわかりますね。

風吹ジュンさんは、歌手活動も引っ張りだこになりました。

 

風吹ジュン

「歌手活動は1年くらい」

 

当時、風吹ジュンさんは21歳でしたが、「21では売れない」と事務所の判断で18歳としてデビュー

当人は、ウソをついているのが嫌でたまらなかったのだそうです。

 

風吹ジュン

「ウソをついているみたいで嫌だった」

 

当時、アイドルの年齢を少し若く発表することは、当たり前のように行われていたと考えられます。しかし、この年齢のウソが後に、火に油を注ぐとは誰も思っていなかったでしょうね。

三ツ矢サイダーのCM

風吹ジュンさんの若い頃の人気CMのひとつが「三ツ矢サイダー」です。

可愛すぎです。

1974年、風吹ジュンさんは「愛がはじまるとき」で歌手デビューすると、同年に「三ツ矢サイダー」のCMやポスターにも起用されます。

ネットを調べてみると、風吹ジュンさんファンが「ホットパンツ姿が目に焼きついてる」というコメントをよく目にします。

健康的で可愛いですもんね。

ホットパンツ姿は、歌手デビューのときからの「風吹ジュンさんのイメージ」のようですね。

はじける笑顔が「三ツ矢サイダー」のさわやかなイメージにぴったりです。

 

気になる風吹ジュンさんの三ツ矢サイダーのCMはこちら。15秒です。

 

風吹ジュン

「それでも、実感はわかなかった」

 

漫画キャラクターのモデル

風吹ジュンさんの人気は社会現象になっていました。

風吹ジュンさんは漫画のキャラクターのモデルにもなっています。

 

少年チャンピオンの人気漫画「がきデカ」のヒロイン「ジュン」は、風吹ジュンさんがモデルです。

 

少年チャンピオン「風吹ジュン物語」


サントリー「氷結」

 

 

漫画のモデルとは話が変わりますが、当時の風吹ジュンさんがいかに憧れの女性モデルとなっていたのかがわかるエピソードがあります。

人気テレビドラマ「やすらぎの郷」では、監督の意向で「お若い頃の風吹ジュンさんのグラビア写真」などが遺影として登場しました。

大胆にも車の上に水着姿で横たわる風吹ジュンさん。

お顔のところだけ画像をご紹介しますね。

 

風吹ジュンさんの凄さはルックスだけではありません。

ドラマ「やすらぎの郷」に出演が決まり、放送が開始されると、風吹ジュンさんの女優としての評価が確立する作品となりました。

 

中年となった風吹が真正面から顔を窓ガラスに押し付け、鼻も頬も潰れた状態で「私ってキレイ?」と夫に問いただす怪演ぶりを披露(YahooNews)

 

芸歴40年超の女優に、これまで培ってきたキャリアを一瞬で捨てさせるような演技を求める倉本聰作品。

それに見事に応える風吹ジュンの女優魂には感服しました。(コラムニスト桧山珠美)

 

回想シーンの若い頃の演技が全く違和感無いってどういうこと?で、ボケて年取ったところも振り切って演じてる。素敵だわ。(Twitter)

 

元アイドルで美人女優だったら、、ためらう「老いと痴呆」のシーン。

見事に遣りきり、観衆にメッセージを感じさせるものを届けたのでした。風吹ジュンさんは実力者ですね。

風吹ジュンは女優として再出発

売れっ子だったお若い頃の風吹ジュンさん。

事務所移籍のトラブル(風吹ジュンさんが連れ去られるという誘拐事件)と年齢を偽っていたことから、清純派アイドルのイメージが転落。

1975年、風吹ジュンさんは女優として新たに芸能界を歩みはじめます。

寺内貫太郎一家2

1975年、風吹ジュンさんは女優活動を開始します。(当時23歳)

きっかけは、大女優の樹木希林さんのご縁があったからでした。

風吹ジュンさんは、最後のシングル「23歳」を出します。

TBSドラマ「寺内貫太郎一家2」の挿入歌に選ばれると、出演されていた樹木希林さんと知り合い、相談にのってもらう仲に。

風吹ジュンさんは、樹木希林さんを介してプロデューサーに紹介され、女優へ転身することになりました。

風吹ジュンさんは寺内家の若い長女「寺内節子」役を好演。

共演者の樹木希林さん、向田邦子さん、久世光彦さん、山田太一さん、倉本聰さん、加藤治子さんとの出会いによって、風吹ジュンさんは女優としての実力を付けていくことになりました。

「寺内貫太郎一家2」西城秀樹さんと

 

ドラマに引き続き出演し、風吹ジュンさんの人気も少しずつ回復していきます。

主な出演作品

1975年「寺内貫太郎一家2」「ばあちゃんの星」「花吹雪はしご一家

1976年「前略おふくろ様」「美しき殺意」「江戸捜査指令 第8話 轟死の音!恐怖のエレベーター」

 

「前略おふくろ様」では、俳優の萩原健一さんと風吹ジュンさんの共演が話題となりました。

 

 

(この頃、事務所をトラブルで辞めていますが仕事は舞い込みます…)

 

1977年「冬の運動会」「岸辺のアルバム」「Gメン’75」第126話・127話

1978年「Gメン’75」第128話・129話「オレンジ色の愛たち」「熱中時代」「ガラスの女

 

風吹ジュンさんの映画出演も少しずつ増えていきます。

1977年「白熱デビッドヒート

1978年「原子力戦争Lost Love」「火の鳥」「九月の空

手塚治虫「火の鳥」オロ役の風吹ジュンさん

 

「原子力戦争Lost Love」の原田芳雄さんと

 

「原子力戦争Lost Love」のヒロイン役の風吹ジュンさんもかわいいですね。

憂いのある表情が印象的です。

 

1979年「蘇える金狼」「阿修羅のごとく

風吹ジュンさんは、新たに大人の魅力をそなえた人気女優となっていました。

蘇える金狼

1979年、風吹ジュンさんは有名映画となる「蘇える金狼」に出演。

当時、風吹ジュンさんは27歳。

人気俳優の松田優作さんと大胆な体当たり演技が話題となりました。

松田優作さんといえばワイルドな役柄。

そのお相手役となった清純派だった風吹ジュンさん。

 

意外性のある官能シーンだから話題になっただけではなく、風吹ジュンの女優としての才能が認められる作品。

大人の女性の演技の幅が広がりました。

 

風吹ジュン

「新人だった頃、女優としての色々なことを教えてくれたのは、亡くなった樹木希林さん」

 

2020年4月、風吹ジュンさんは「徹子の部屋」に出演し、女優として新人だった「お若い頃」について振り返っていました。

風吹ジュンさんの女優人生にとって、大女優の樹木希林さんの存在が大きいことがわかります。

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