皇后雅子様の馴れ初めは?天皇陛下の結婚を決意させたプロポーズのお言葉が素敵!

1993年、徳仁皇太子殿下と雅子様のご結婚のニュースが報道されました。

ネットでは、初の女性キャリア官僚と呼ばれ外務省でご活躍のキャリアウーマンだった雅子様に、6年間の恋を実らせた天皇陛下が話題になっています。

天皇陛下と雅子さまの馴れ初めと結婚を決めたプロポーズの言葉をご紹介します。

 

天皇陛下

今上天皇 徳仁(きんじょうてんのう なるひと)

誕生日 1960年2月23日

年齢 59歳(2019年)

血液型 未公表(A型説が濃厚)

身長 163㎝(1993年ご結婚時)

皇后雅子さま

皇后雅子(こうごうまさこ)

誕生日 1963年12月9日

年齢 55歳(2019年)

血液型 未公表(A型説が濃厚)

身長 164㎝

天皇陛下と雅子様の出会い

さっそく、天皇陛下と雅子様の出会いを見ていきましょう。

【公式】スペイン王女歓迎の会

1986年10月、天皇陛下と雅子様の出会いは、スペインのエレナ王女の歓迎レセプションの茶会の席でした。

雅子様は、小和田条約局長の同伴ご家族として東京・赤坂の東宮御所に招待されました。

会場には、スペインと日本の関係者120人余りが招待され、年頃の女性が40人程ご家族と同伴で出席していたそうです!(実際はお妃候補の顔見せとしてご招待)

当時、22歳の雅子様は会場の人の多さに圧倒。

雅子様のお父様は、自分と同じ外交官になったことよりも社会に出ていく娘を喜ばしく思っているご様子で、お后候補として自然な出会いをセッティングとは思ってもいなっかったようです。

皇太子さまがエレナ王女をエスコートして来場すると、会場は緊張と拍手に包まれました。

天皇陛下と雅子様が初めてお言葉を交わしたのは、天皇陛下が来客者にご挨拶されている時でした。

雅子様の父から雅子様が外交官試験に受かったことを聞いた天皇陛下は、

 

皇太子殿下

合格してよかったですね

どんな外交官になりたいですか

 

雅子さま

(理想の外交官像を少しお話して、お礼を申し上げるので精一杯。)

 

皇太子殿下

これから頑張って。

 

と、励まされました。

事前に雅子さまのことを聞いていた皇太子殿下は、「とてもかわいらしい方ですね」と雅子さまの第一印象についておっしゃっていたそうです。

当時の東宮職や関係者は、天皇陛下の「アイドル柏原芳恵のファン」報道が目立って、茶会の出席者が目立たず安心しました。「まとまるものも、まとまらない」と、思われていたそうです。

2、3分の短い会話でしたが、何人ものお后候補と会ってきた天皇陛下が、

 

天皇陛下

もう一度会いたい。

 

と、言うのは雅子さまが初めてだったそうです。

天皇陛下は、この時から雅子様に強く惹かれたのですね^^

皇太子さまってそんなにお偉いの?

スペイン王女歓迎の会から帰宅した晩に、雅子様は母方のお祖母に尋ねました。

 

雅子さま

浩宮さまって、そんなにお偉いの?

 

天皇陛下に直接ではありませんでしたが、率直に疑問を持つ姿勢&理想の外交官像を語る雅子さまの何気ない一言は、女性が社会でリーダーシップを取るようになる先駆けの時代(男女雇用機会均等法がはじまる頃)では、自立した女性としてかなり大物な発言です!

どのような経緯でこのような会話があったのかはわかりません。

茶会の席で天皇陛下に対して、緊張されながらも臆さず自分の意見を伝える雅子さまのご様子が、天皇陛下にとって強烈な印象だったのかも知れませんね^^

天皇陛下の理想の女性

15歳の皇太子殿下

14歳のころから天皇陛下は、お妃様候補は誰?と報道され、年頃のふさわしいお家柄の子女との自然な出会いがセッティングされていました。

ご友人を介して様々な会に良家の子女(旧華族、旧皇族、学習院関係のご友人)の招待があったそうですが、おそれおおく周りの子女は積極的にお話されませんでした。

天皇陛下は大学時代に、理想の女性は「控えめだけれども、芯がある女性」と大学のご友人にお話されており、民間からお妃様を望んでいました。

大学留学中の天皇陛下

あるときの記者会見で、天皇陛下は理想の女性について語っています。

 

自分と価値観や金銭感覚・趣味や関心が合い、家柄や身長云々よりも、世間知らずでなく他人の心がわかり、人の悩みや苦しみを推し量ることができる、必要な時は自分の意見をしっかり言える女性が理想です。

 

雅子さまを意識されていると思ってしまったのは私だけでしょうか!世界と渡り歩く新しい時代を迎える皇室として、パートナーに求める大きな条件のようにも思います。

【本当の出会い】お忍びのフランス旅行

天皇陛下と雅子さまの出会いは、公的には1986年のスペインのエレナ王女歓迎の会とされていますが、

実際にはもっと前から親交がありました

 

(えっ!!??笑)

 

イギリス・オックスフォード大学に留学されていた天皇陛下は、トム・ホール大佐はじめ滞在先で親交のある方々とご一緒にフランスへご旅行をされており、その中に雅子さまの姿があったそうです。

1984年から、天皇陛下はフランスを2回ご旅行されています。

12月は各国のご要人御用達の高級リゾート地・メリベルにてスキー旅行。クリスマスと新年を過ごされています!

メリベル・スキーリゾートの夜がロマンチックなんだそうです♪おとぎ話の世界のような可愛らしい小さな村。

 

9月はアルザス地方のワイン街道に沿って小都市をめぐる旅。

天皇陛下と雅子様は互いに価値観を確かめあったと言われています。その後も、意中の雅子さまを御所に招待されたりと親交を深めていかれました。

 

1985年、天皇陛下のオックスフォード大学留学からの帰国会見では、記者のお妃様に望むものは?という質問に対して様々な回答をしています。

 

皇太子殿下

「美しいものを見たときに、それを美しいと評価できる人

 

フランスのご旅行での体験のことでしょうか…?!

 

皇太子殿下

「これからはある程度の外国語が話せたほうが良い」

 

海外育ち&6ヶ国語を話す雅子さまのこと…??!

 

 

皇太子殿下

「ニューヨークのティファニーに行って、あれやこれや買うような方では困る

 

誰と何があったのでしょうか笑。堅実な着回し上手な雅子さまこちら。

【画像】皇后陛下のお若い頃が美しい!雅子様のファッションもご紹介

留学中の天皇陛下と英国ロイヤルファミリー

真面目で現実的な天皇陛下は、新しい時代のパートナーとしての必要な資質を雅子さまに見出していたのかも知れませんね。

天皇陛下と雅子様の馴れ初め

元々の皇太子妃リストには入ってなかった民間出身の雅子さま。そのため、反対する方も少なくはありませんでした。

皇太子殿下の6年越しの恋と言われていますが、どのように乗り越えてこられたのでしょうか。

雅子さまのお誕生日に花束!

1987年12月9日、雅子様の24歳のお誕生日に、皇太子殿下から東宮事務次官を通じて小和田邸に花束が届けられました。

ロマンチックな展開です!!

ですが、雅子さま自身は浮いた感じはなく、外交官試験に合格したばかりでお仕事に対して意気込んでいました。お妃など現実味のない話です。

 

雅子さま

「いよいよ外務省から内定をもらった時、これで自分は結婚できないかも知れない、とも…。両立させたいですね」(同年12月25日クリスマスの取材)

 

雅子さまの気持ちとは反対に、マスコミは本格的に雅子さまをお妃の有力候補としてマーク

40倍の倍率を勝ち抜けてなった夢の外交官として、雅子さまは仕事に集中したいのにマスコミはしつこく追いかけました。容赦ないカメラのフラッシュ。報道は恐怖に変わろうとしていました。

1988年、「私どものようなサラリーマン家庭から皇室入りはありえない」雅子さまの父を通してお付き合いを固辞しましたが、それでも報道は過激化しました。

こんなことがあったなんて、、雅子さまが可哀想ですね。。

問題となった雅子さまのお家柄

「アルザスの恋」から何年も経ってからですが週刊誌に取り上げられました。別の記事で、皇室関係者も(ご旅行の事実を)よく見つけましたね。本当です。と、コメントされていました!

世間では、お后候補の中でも雅子さまが特に候補になっていたようです。

ですが、民間からお妃を選ぶことに対し昭和天皇・皇后そして一部の皇室関係者は反対でした。

皇太子殿下のお母上である美智子さまは初の民間出身の皇太子妃で、皇室に入られてご苦労をされたのは有名なお話です。(生物学を学ばれていた昭和天皇は、天皇家の血が濃くなり過ぎるのを回避するために民間からの新しい血を望まれました。)

しかし、今回の問題となったのは雅子さまのお家柄でした。

皇室に入る方は、宮内庁が家柄や異性関係を調査します。

雅子さまの母方の祖父が、社会問題となっている水俣病の原因になったチッソ社の社長を務めていたことがわかり、雅子さまはお妃様候補から外れことになりました。(実際は社会問題後に就任、改善に尽力)

この件で、雅子さまとのご結婚反対派が多く、また宮内庁からの説得もあり天皇陛下も断念せざる終えません。

反対するために雅子様の粗を探しているようにも感じます。。

外務省の研修留学でオックスフォード大学へ

1988年、しつこい報道に疲れてしまった頃、雅子さまは日本を離れ、外務省の研修留学でイギリス・オックスフォード大学に行かれます。

留学を機会に、皇太子殿下と雅子さまは連絡を取り合わなくなったそうです。

しかし、マスコミはオックスフォード大学構内にまで入り雅子さまを追いかけてきました。雅子さまは我慢の限界で毅然として言いました。

 

雅子さま

私はこの件に関しましてはまったく関係ございません。

 

きっとテレビカメラの前で、勇気がいったでしょうね。

 

雅子さま

「とにかくお后候補には関係していませんし、外務省もやめるつもりはありません。

 

マスコミも国民も、皇太子殿下と雅子さまは破局したと理解しました。

しかし、このはっきりした物言いも、反対派はよく思わず炎上しました。

雅子さま:右から2番

その後は、外務省の北米局北米第二課に配属されて外国要人の通訳スピーチの草案など重要な仕事を担当をされていました。

一節では、外務省も雅子さまを皇太子妃に押していたとあり、諦めきれない関係者がいたといいます。

大事になってしまって、天皇陛下も哀れです。。

やはり雅子さんでなくては…!

1989年1月、昭和天皇がご崩御。時代は平成に。

 

天皇陛下は皇太子殿下皇位第一継承者になられました。

マスコミの毎年お決まりのような質問「理想の女性には出会えましたか?」に対して、

 

天皇陛下

「理想の女性に会えたかも知れないし、会えなかったかも知れない。」

 

と、回答されており、実際には雅子さまのことが未だ心にあったといいます。

 

天皇陛下

「雅子さんでなくては。」

 

この頃、天皇陛下は宮内庁長官には胸の内をお伝えされていました。

雅子さまを心から想われていたのですね…!!

 

天皇陛下

小和田雅子さんではだめでしょうか。

 

1992年1月、天皇陛下は東宮関係者に再度伝え、雅子さまを皇太子妃候補として進める計画がはじまりました。天皇陛下の熱意が推進力でした。

お妃候補の話は過去のことと仕事に邁進していた雅子さまは、驚き戸惑われたそうです。ですが、天皇陛下のお気持ちも無下にはできません。

同年 8月16日、雅子さまの帰国から2年、元外務事務次官の柳谷謙介氏の自宅で、天皇陛下と雅子さまは5年ぶりの再会をしました。

表向きは、「 殿下は午後からテニス、特に外出される予定はありません。」となっており、テニス道具を車にのせて、東宮関係者も知らない徹底した秘密の再会でした。

その後、天皇陛下から雅子さまに直接電話やFAXが届くようになったそうです。ほっこりな話ですね。

5年ぶりの再会でプロポーズ

1992年10月3日、再会から2回めのデートは千葉県市川市 宮内庁新浜鴨場(しんはまかもば)

20万平方メートルもの広大な敷地に野鳥が生息し、海外からのゲストを接待する美しい場所です。

午前9時、雅子さまの元上司である柳谷夫妻と共に雅子さまは先にご到着

あずき色の軽ワンボックスカーの狭い車内から降りてきた天皇陛下とお会いして、雅子さまはそこまでして会いに来てくださったことに感動したと言われています。そこに、お供の姿や黒塗りのハイヤーはありません。

 

それもそのはず、天皇陛下は職員の自家用車に乗り込み、段ボール箱を積んで中が見えないようにして、赤坂御所を出る時は毛布をかぶって身を隠す、、、当時の天皇皇后陛下もご存じない極秘の密会でした。

(実は、この新浜鴨場の出入りは皇室警察、警視庁、千葉県警の記録にも残っていません。)天皇陛下の外出に警護の警官が同行しないのも前代未聞のことでした。

スパイ映画みたいですね!!!!笑

昼食後、天皇陛下と雅子さまは野鳥が遊ぶ水辺を散策され、同行した柳谷夫妻にもその笑い声が遠くから聞こえてきたそうです。

小鳥のさえずりが聞こえる中、天皇陛下が雅子さまと向き合ってストレートに話を切り出されました。

 

天皇陛下

私と結婚してくださいますか?

 

雅子さま

「……お断りすることがあっても宜しいでしょうか。」

 

やっと返事をした雅子さま。陛下は変わらず穏やかに、諦めずに強く語りかけたそうです。

 

天皇陛下

「外交という分野では、皇室で外交をするのも、外交官として外交をするのも、国をおもう気持ちに変わりはないはずです。」

 

仕事に生きてきた雅子さまのお気持ちを察するようですね。

 

天皇陛下

雅子さんが皇室に来てくれたら嬉しい。

 

天皇陛下は素直な気持ちもお伝えになりました。

 

雅子さま

「お断りする場合も含めて、きちんとお返事します。」

 

皇太子殿下(天皇陛下)と結婚するということは、将来は皇后になるということ。夢か叶えた外交官を辞め国の象徴を支えて国のために一生を捧げる覚悟がいること。。雅子さまは、10日ほど風邪で仕事を休まれました。

10月20日すぎに、雅子さまは宮内庁にいったんお断りのご連絡をされました。

 

雅子さま

「住む世界が違いすぎ、自信がありません。」

 

無理もなく、簡単に決断できることではありません。マスコミに執拗に追いかけられたことも不安の一つにあったのではないでしょうか。。

2度目のプロポーズ

1度目のプロポーズの後も、連日の電話で天皇陛下は雅子様に想いを伝えられました。宮内庁も柳谷夫妻も再説得に乗り出しました。

11月3日、なんと当時の天皇皇后陛下が雅子さまの父を赤坂御所に招待してお気持ちを伝えられています!雅子さまを素晴らしい女性と認めての行動だったのですね。

11月28日、雅子さまはマスコミを巻いて東宮御所を訪問されました。

まだ返事をすることができなかった雅子さまに、天皇陛下がお声掛けます。(後の有名な台詞です^^)

 

天皇陛下

皇室に入られることにはいろいろ不安もおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でおまもりします。

 

真っ直ぐで誠実な殿下らしいお言葉ですね。

その10日後。12月9日に、天皇陛下は誰よりも先に雅子さまのお誕生日をお祝いしたく、午前0時に小和田邸に電話をかけました。プロポーズの返事をまだ悩んでいるという雅子さまに、天皇陛下は自分も深く悩んだことを告白されます。

 

雅子さま

「何をそんなにお悩みになったのですか?」

 

天皇陛下

「ぼくとしては、ぜひとも雅子さんに皇室に来ていただきたいと、ずっと思っているけれども、本当に雅子さんのことを幸せにして差し上げられるのだろうか、ということを悩みました。」

 

皇太子殿下は、一人の女性としての雅子さまの幸せを考えられていたのですね。

その3日後、雅子さまは東宮仮御所を訪問されました。そして、遠慮がちにお話されたそうです。

 

雅子さま

「あの、本当にわたくしでよろしいのでしょうか?」

 

皇太子殿下

「はい、そうです。」

 

雅子さま

「わたくしがもし、殿下のお力になるのであれば、謹んでお受けしたいと存じます。

お受けいたします限りは、殿下にお幸せになっていただけるように、そして、私も良い人生だったと振り返られるような人生にできるように努力したいと思います。」

 

皇太子初の反抗」とまで言われた雅子様への一途な恋

天皇家に生まれて、小さい頃から我をお抑えて従ってきた陛下が、生まれてはじめて自分の意志で選び、やっとの得ることができた生涯のパートナーだったのですね!

 

天皇陛下

「これから会う方法を工夫しなければ…」

 

雅子さま

「パンダのぬいぐるみをかぶってまいりましょうか。」

 

天皇陛下と雅子さまは共にユーモアのあるお方として知られています。これからもコメントが楽しみですね。

ご婚約会見

徳仁皇太子殿下と雅子様 ご結婚記者会見(1993年1月)

ご婚約会見では、雅子さまの緊張と照れていらっしゃるご様子が印象的でした。

報道陣に、結婚を決めたきっかけは何か?と聞かれると、

 

雅子さま

「皇室に入られることにはいろいろ不安もおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でおまもりします。とおっしゃっていただいた…」

 

こちらが雅子様が心を打ったお言葉として有名なプロポーズのお言葉です。

当時の女性たちはこのプロポーズのお言葉にトキメキ日本国中が一挙にお祝いムードになったそうです!

天皇陛下は初めて雅子さまに会った時に、雅子さまに好印象を持たれていたことをコメントされています。

 

非常に強いというか、とてもよい印象を受けました。まず非常に控えめでいらっしゃるんだけれども、自分のことをはっきりとおっしゃって、それでいて非常にに聡明であるということ。それから何かこう話題にも共通性があって、お互いに心が通じ合うというような、そういう感じを強く持ちました。従ってこう非常に話していて楽しい人という……」(雅子さま物語)

 

本当に一途な恋だったのですね!

皇太子殿下も雅子様もいい笑顔です。嬉しそうですね。

この日からイエローが雅子さまの勝負カラーとなったようです。明るい印象に見えますね。

イエローの振り袖やローブモンタントで出席されるようになりました。

皇室に入る不安がある中、自分を鼓舞&明るく印象づける雅子さまの気配りではないかと言われています。

こちらは納采の儀の雅子さま(結納)

4月12日、当時の天皇皇后陛下にご挨拶に行く小和田夫妻と雅子さまの元には、報道陣が押し寄せました。

天皇陛下と雅子様 ご結婚

1993年6月9日、当時皇太子殿下だった天皇陛下と雅子さまのご結婚パレードが行われました。

ご結婚パレードの視聴率は30%超え最高視聴率79.9%でした!

雅子さまのドレスと受け継がれる皇室ティアラについてはこちら。

1993年7月8日、東京サミットの晩餐会、イギリスのメジャー首相を出迎える皇太子夫妻。

通訳を介さずにお話される雅子さまは各国のゲストから大人気となりました!

翌年の皇室カレンダーは売上3倍、新年の一般参賀は2倍の人がお祝いに来られました。雅子さま人気は凄いですね!

1995年、アラブ皇室外交「開かれた皇室」と呼ばれた、天皇陛下と雅子さまの外交。

天皇陛下が望まれた、自分の一歩後ろを歩く女性ではなく、共に歩む女性

天皇陛下と雅子さまの旅路は、ここからがはじまりでした。

天皇陛下と雅子さまは通訳ナシで会話をされていて素敵ですね!!

雅子さま、バリキャリの外交官からエレガントな外交官の装いに変化したように思います。お洒落でカッコいいです。

まとめ

天皇陛下と雅子さまの馴れ初めは、公式はスペイン王女の歓迎会ですが、実際はフランス旅行にはじまりました。

皇太子さまの6年越しの想いと、雅子さまの外交官の夢を皇室外交に見出したご決断、お2人を取り巻く関係者の協力があったことがわかりました。

ハイスペックな皇后とどこまでも誠実な天皇陛下の時代、楽しみですね!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です